お豆の迷走記~アラサー独女の独り言

人生迷走中アラサーお豆の日常や家族の話

家族の話8 またね2

こんにちは・・・

数日間、地下に潜ってました。

お豆です。

 

豆母の家は

祖父が短命の血筋で、祖母が長命の血筋。

 

祖父は60過ぎで亡くなり

母の姉と兄も60過ぎで亡くなった。

 

母の姉と兄は二人とも癌で亡くなった。

母の姉は、癌と診断されると同時に

余命宣告を受けた。

 

母は姉の元に駆けつけた。

そして、みんなでお寺にお参りに行き

みんなで、何度も何度もお経を唱え

当病平癒を祈った。

 

そして、抗がん剤

髪が抜け落ちるのが嫌だからと

自ら頭をバリカンで刈って・・・

丸坊主にして

似合うでしょ?と笑うその笑顔に

何故か励まされたのは私たちの周りの親族だった。

 

みんなの願いが届いたのか

数ヶ月後、癌は消え去っていた。。

 

病院の先生に奇跡だ!!と言われ

みんなで喜び、涙した。

 

とはいえ、癌の再発には注意しながらの生活になる。

闘病生活の中で、おばの旦那さんが鬱になった。

 

おばは旦那さんの為にと

犬を飼った!名前は"力"と書いて、「リキ」と

おばが名付けた。

 

おばは旦那さんの力になってほしい!

旦那さんを元気づけてほしい!

自分がもしいなくなっても力強く生きてほしい!

そんな想いがあった。

 

リキが家族に加わったことで、

旦那さんも元気になった。

おばも再発に気を付けて

定期健診を行いながら、家族と楽しく暮らしていた!

 

そして、お豆が大学受験で高知に行くことになった時

おばがお四国詣りに行きたいというので

お豆が試験を受けている間に

父、母、おばで、近くのお寺にお参りに行っていた。

 

そして、試験が終わったお豆と合流し

鰹のたたきを多能して帰ったのは、今となっては

とてもいい想い出である。

 

それから、2ヶ月して

おばに癌が見つかった。。。。

 

それもかなり転移しており

余命も長くて1年と宣告された。

 

緩和ケアを薦められたが

おばは「家で死にたい」といい

検査入院からすぐに退院の手続きを取り

自宅に戻った・・・

 

おばの次男はお医者さんで、お嫁さんは看護婦さんで

検査結果を聞くときから立ち会い

自宅で自分が看ると言い

「仕事をクビになってもいいから母を看取りたい。」と

職場の院長と話をし、結果

おばを看取る間、休みをもらった。

 

余命宣告を受けたと母から聞き

おばの元へ駆けつけたとき

おばは随分とやせ細り、まるで別人でした。

1日のほとんど眠ったままでしたが

偶然起きているおばに会えました。

話の途中で、おばは眠ってしまいましたが

今までと変わらない素敵な笑顔がありました。

 

おばが亡くなったのはそれから1ヶ月ほどたってから・・・

 

おばは必死に息を吸っていました。

呼吸が荒くなり、とても辛そうなおばに母が

「お姉ちゃん、もう頑張らんでいいよ。」と言うと

一度、大きく息を吐いて

静かに息を引き取ったそうです。

 

おばが亡くなるとき

母やおばの兄弟、おばの旦那さんや息子達が

おばを見守り、最期を看取ったそうです。

 

葬儀の時に

おばの旦那さんが最期のお別れの時に

「ありがとう。またね。」と

おばの頬に優しくキスをしました。

 

みんな泣きながらおばに別れを告げ

またね。またね。と繰り返しました・・・・

 

おばは母よりもワイルドで

母よりも強く、たくましかったw

 

ムカデが出たときはリモコンで退治しちゃうしw

ゴキブリは素手で退治しちゃうしw

どんなに高価なものでも、おばが不要だと思う紐とか

はさみで切っちゃうしw

どんな相手にもまっすぐで、

いつもどんなときも真剣そのもので

かなり厳しい部分もあったけれど

その分、とても優しかった。

そして、あの素敵な笑顔に何度も励まされた。

 

母は、最期のお別れで

「お姉ちゃん、あっちでお父さんと待ってて!またね。」

って伝えていた。

 

母はおばの亡くなった年を越えたとき

なんとも言えない気持ちになったと言いました。

今でも、母とおばの話をすると

母は「最期に頑張らんでいいっていってあげれてよかった。」

最後に必ず言います。

そして、「いつかあっちであった時、またゆっくり話がしたい。」

という母はどこか楽しそうというか

その日が待ち遠しいと思う子どもの様です。

 

それほど母にとっておばや家族は素敵な存在なんだな~と思う。