お豆の迷走記~アラサー独女の独り言

人生迷走中アラサーお豆の日常や家族の話

父の背中

昨日は終戦の日でした。

今年で、終戦から76年・・・

日本は焼け野原からすごい発展と復興を遂げました。

 

その代償は一体何だったんだろうか??

発展と復興を遂げて、人々の心には残っていないように思う。

前にも書いたけれど

戦争を知らない人が増え、語り部も減り

知らず知らずのうちに消えて行っているように感じる。

 

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昨日は、終戦の日でお豆の住む地域では

12時にサイレンが鳴り響いた。

黙祷を捧げるサイレンだ。

 

以前話を聞いた人の中にはサイレンが嫌いだという人が多かった。

火事などのサイレンも、この黙祷のサイレンも

サイレンの音が怖いというのだ。

この音が空襲を思い出させると。

同じものではないし、戦争は終わったと分かっていても

やはり急に怖くなるのだという。

今のこの平和な世界が夢なのかと思うほど

サイレンで起こるフラッシュバックの恐怖に

今でも身体が震えるという。

 

戦争が終わっても

76年たった今も、日本のみならず、世界中に

戦争による心の傷に苦しむ人がいる。

これまでにも沢山苦しんだ人がいる。

 

だからこそ、もう二度と戦争などしてはいけない。

戦争の無い平和な世界にするためにも

私たちは考えなくてはいけないと思う・・・

 

お豆は終戦記念日という言葉が嫌いだった。

記念日はやっぱり良い思い出に使うものという考えがあるからだ。

けれど、記念するという言葉には

「過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること」

という意味もあるらしい。

 

戦争を、犠牲になった人々のことを思いだし

二度と戦争などしないと心新たにして

平和な世界を目指す!と決意を新たにする日なのだと

改めて解釈した。

 

しかし、やはり終戦記念日は響きが悪いように思う。

なので、終戦の日の方がいい気がする。

 

 

本当は言い方なんてどっちでも良いのかも知れない。

むしろ大事なのは、戦争のない平和な世界の為に

何をしたら良いのかと一人でも多くの人が考える事かも知れないな!!!

 

 

 

話は変わって・・・

 

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これに書いた話の中に出てくる事件について書こうと思う。

 

おじの葬儀の日の夜

母の妹夫婦とその息子(のっさん)、そして母の亡き姉の息子(たっくん)が

我が家に泊まっていた。

 

そしてお豆が寝ている間に

みんなで、おじの話をしたりしていたらしい。

 

そこで、何か行き違いがあったと言うか

意見の食い違いが起こり

お豆のと、母の妹の旦那(かどさん)が大げんかになった。

 

そして、殴り合いみたいになったらしい。

お豆はみんなの泣き泣き止める声と

二人の怒号で目が覚めた。

 

お豆がたどり着いたとき

母は泣きながら父をなだめ

かどさん息子ののっさんに取り押さえられていた。

それでも、父に向かって怒鳴りまくっていた。

 

お豆はひとまず、猫と犬を避難させた。

母と母の妹(れいさん)、たっくんが猫と犬を抱き上げていたから。

たっくんに聞いたら、かどさんが怒鳴って

犬や猫を蹴ったらしい。

 

怒りで震えながら、犬と猫を避難させた。

その後ろを、母がをなだめながら追いかけてきた。

 

両親と犬と猫でごった返した寝室。

ベッドに座り、怒りに震える父の背を

母が泣きながらさすっていた。

 

 

両親の寝室を出て

リビングに戻ると、のっさんがたっくんと話ながら泣いていた。

のっさんがお豆をみて、泣きながら謝ってきた。

けれど、のっさんが悪いわけじゃ無いから気にしないで!!といったら

のっさんは更に泣いていた。

 

そこへれいさんが来た。

れいさんも泣きながら謝ってきた。

れいさんは、かどさんが帰ると騒ぐので、この家を出て行くといって

のっさんをつれて出て行った。

 

 

それから、かどさんは親戚の集まりに来ても

一切口をきかなかったし

いつもぎりぎりに現れ、いち早く帰った。

お豆達や父と顔を合わせたくなかったのだろう。

 

それから、れいさんは母との連絡も制限され

母も連絡を取らないようになってしまった。

 

れいさんは母の姉妹兄弟の中で唯一

遠くの県にお嫁に行った。

だから、なかなか会えなかったが、今回の件で

会えないどころか、連絡も取れなくなってしまった。

 

そもそもかどさんの仲は

いつもはおじがいたから喧嘩もなくいられたんだろうと

母から聞いた。

 

おじは父やかどさんの間で

仲介役をやっていたのだろうか?

おじのいなくなった今、こんな大げんかになり

だれも止められず、結果最悪の事態になってしまった。

 

 

 

 

 

それから、数年後・・・

祖母が亡くなった事で、状況が変わった。

 

 

omamesan3.hatenablog.com

 

祖母が、危篤になり

れいさんも駆けつけて、母達姉妹で祖母を見送った。

 

 

その葬儀の前に父と話をした。

 

父:かどさんにわしが悪かったと謝ろうと思う

 

お豆:え?父さんだけが悪いわけじゃ無いじゃん。

 

父:でもな、れいさんはお義母さんがいなくなったから

  こっち(広島)に帰ってくることもできなくなるし

  そしたら、れいさんも悲しむし、まっさん(お豆母)も悲しむやろ?

  わしはお義母さんに、まっさんを幸せにするって、悲しませないって

  約束したからな。

 

お豆:そっか・・・泣

 

父はお豆母を悲しませたくないし

れいさんの帰るところを残してあげたいからって

かどさんに、「わしが悪かった。」と謝った。

 

かどさんがなんて言ったのかは分からない。

でも、今はれいさんも母に欲連絡してくるし

母も父も、お豆もれいさんの家へ遊びに行くようになった。

 

 

父のそんな姿を見て

父の背中の大きさを、懐の深さを、母への愛の大きさを知った。

 

そして、父は祖母に、母を幸せにすると

悲しませない、大事にすることを、もう一度約束したという。

 

 

父の思いを母やれいさんに話すと

二人とも号泣していた。

父には感謝してもしきれないと。。。

 

普段、父に対して思う事は色々あるけれど

なんだかんだいっても、やるときはやる。

そして、人のことを思って行動できる父は素敵だなと思うし

そんな父の娘である事を誇りに思う。